「能がきやない、現実に即して闘え」 これが釜合労稲垣浩の信条
「一生闘い続ける」
教えてくれたのは中国を解放した毛沢東
現釜合労委員長の稲垣浩は1971年(当時27才)の春。釜ヶ崎で日雇労働者として働き始めました。
地下たびをはき、かたづけ、とび職の手元、鉄筋工の手元、鉄筋の生産工場の現場での仕事等が主でした。そこで様々な卑しめ(いやしめ)や差別を受け、屈辱の日々を過ごすなか、自分が働くここ釜ヶ崎で差別と闘うことを思い知らされたのです。
当時、釜ヶ崎の労働者は暴力手配師により支配されていました。労働者に対するその暴力を止めなければなりません。有志が集まりました。暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議の結成に参加し、共に立ち上がった労働者と共に闘いました。
ここ釜ヶ崎で働く人々が労働者であることを世に知らせるため、釜ヶ崎日雇労働組合を結成し、初代委員長になりました。朝に雇用されて、夕方に賃金をもらって解雇される不安定な毎日のくりかえしではあるものの、労働の対価である賃金で生活する労働者であるということを世に知らせるために。
それからしばらくして大阪弁護士会の今は亡き岡田義雄弁護士から「稲垣君、君が釜ヶ崎で働く人を日雇労働者と言ってることがなじんできたで」と言われたことを覚えています。
それまでは「労務者」「あんこ」と呼ばれてさげすまれ、労働者となにかしらちがう者として卑下(ひげ)され、差別されてきた歴史があります。
「この差別を釜ヶ崎の労働者がはねかえさなければ、だれがはねかえせるというのか」との思いで自らが発信し、立ち上がらなければならないと決意するに至りました。
間をはしょって言うとすれば、「釜ヶ崎の労働者が差別されず、安心して働き、生活できる釜ヶ崎になること」。それを実現するために微力ながら54年間闘い続けてきた釜合労、稲垣浩の信条です。能書きやない。現実に即して闘え。これが釜合労稲垣浩が言ってることです。
まだまだゴールは遠い。それでもあきらめず闘い続ける。一生闘い続ける。そのことを教えてくれたのが中国を解放した毛沢東です。
今後の予定
センターはこの街の宝です
11月29日(土)午後3時三角公園
「センターつぶすな」「シャッター開けろ」「強制排除反対」の集会・デモ
12月4日(木)午前10時
大阪地方裁判所808号
日本維新の会交野支部幹事長(2023年4月当時)が釜ヶ崎労働者を「ヨゴレ」と差別し、さらには稲垣浩の選挙妨害をした裁判の判決
2025年11月4日
釜ヶ崎地域合同労働組合・釜ヶ崎炊き出しの会・いながきひろし事務所
大阪市西成区萩之茶屋2‐5‐23 釜ヶ崎解放会館1階
電話(6631)7460
ファックス(6631)7490
釜合労のホームページhttps://www.kamagourou.com
E-mail info-kamagasaki@kamagourou.com
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