1969年東大闘争、安田講堂時計台に立てこもる学生たちが逮捕覚悟で闘っている姿に感動しました
稲垣浩の白手帳番号は11115番です
1966年兵庫栄養専門学校を卒業した稲垣浩は、東京の新宿百人町にあった日本給食協会に就職しました。月給は8千円でした。
当時の友人が大阪の大学で学生運動をしていた関係で、私も学生運動に興味を持ち、1968年の王子野戦病院闘争、日大神田カルチェラタン闘争、新宿騒乱罪が適用された闘い、1969年の東大闘争等の現地に行き、野次馬で学生の動きや機動隊の動きを見ていました。
今でも記憶に鮮明なのは東大闘争です。東大の赤門の前に古書店があり、店のテレビの画面には、東大安田講堂の時計台に立てこもる学生たちに警察のヘリコプターから催涙液を投下するのが映し出されていました。テレビから目を転じると、目の前をそのヘリコプターが音をたてながら飛んでゆきました。学生たちが逮捕覚悟で闘っている姿に感動したのを覚えています。
1970年6月、日米新安全保障条約(以後、安保条約という)の自動延長反対に参加した私は東京の代々木公園の集会に参加した後逮捕され、赤羽警察に勾留。その後中野刑務所に移管されました。26才でした。
1971年3月に釈放されたのち、釜ヶ崎で日雇労働者として働き始めました。足元は12枚ハゼの地下たび。土工、片付けの仕事が主で、賃金は1日2200円ほどだったと記憶しています。記憶ですので間違っているかもしれません。
センター3階にあるあいりん職安で日雇労働被保険者手帳(以後白手帳という)を取得しました。私の白手帳の番号は11115番でした。当時のあぶれ賃は1級印紙を2カ月28枚貼って1日760円ほどでした。記憶ですのでこれもズレがあるかもしれません。
今宮中学校(現今宮小中一貫校)の正門近くで4畳半のアパートを借り、当時の家賃は6千円。これははっきり覚えています。そのアパートの前には駄菓子屋さんがあり、おでんを売っていました。時々、夕飯のおかずにおでんを購入していました。1カ月分の家賃6千円と1カ月分の米代を貯めると、ビラまき、差別行政との闘いに明け暮れました。
〈釜合労委員長稲垣浩の闘いの記録。続きます。〉
花咲かじいさんの花壇
剪定したクスノキの枝はウネの間に敷き詰められたり垣根に利用したり。日に日にウネが整えられていきます。陽が当たるようになってノースポールが白い花を咲かせています。しだれ梅の白い花もたくさん咲いています。スノードロップもクスノキの根元にたくさん芽を出しました。
今後の予定
センターはこの街の宝です
2月17日(火)午前10時30分
長居動物病院
①組合員への業務制限を続ける不当労働行為に対し、大阪府労働委員会に救済申立した事件の審理再開
②組合員の有給休暇の申請を拒否した不当労行為について救済申立をした件について第2回調査
3月10日(火)
大阪城の天守閣下の屋根より大阪府知事吉村洋文にセンターつぶすな、シャッター開けろ、強制排除反対と声をあげたことによる刑事裁判の第3回公判前整理続き(非公開)
4月22日(水)午後1時20分
大阪高裁
日本維新の会交野支部幹事長(2023年4月当時)が、釜ヶ崎労働者に対する差別をあおり稲垣浩の選挙妨害をした裁判の控訴審
2026年2月16日
釜ヶ崎地域合同労働組合・釜ヶ崎炊き出しの会・いながきひろし事務所
大阪市西成区萩之茶屋2‐5‐23 釜ヶ崎解放会館1階
電話(6631)7460
ファックス(6631)7490
釜合労のホームページhttps://www.kamagourou.com
E-mail info-kamagasaki@kamagourou.com
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